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映画ではなくゲームを求めている [ヴァルキリーの辞書]

近年のゲームは、ムービーが多すぎると感じます。
ゲームを買うのはゲームをしたいからです。わざわざ映画を見させられるためゲームを買ったのではありません。

ゲーム中に映画のような形でムービーを取り入れたゲームで印象的なのは、「ファイナルファンタジー7」です。作品中ででムービーを駆使するというその後の悪しき慣習を作ってしまった悪の根源でもありますが、私はこれは意義のある作品であると思っています。なぜなら、今までそのような表現手法はあまりメジャーではなかったからです。ムービーという新たな表現手法を確立させたスクエアはやはり素晴らしいと思います。
ただ、その後の流れがよくありません。前述の手法は他メーカーに真似され、世の中に無駄なムービーが氾濫することになりました。表現手法として本当にムービーは必要でしょうか? かつてのファミコンのように、ドット絵とテキストによる表現では何が足らないのでしょうか?

勝手な想像ですが、ムービーを多用するのはメーカーのエゴイズムではないのでしょうか。ポリゴン処理でムービーを作成するコンピュータに億単位の設備投資をしてしまい、「仕方ないから」ムービーを作成する…。もし本当にこんなくだらない理由なのであれば、今すぐやめてもらいたいものです。
もちろん、ムービーによる表現がフィットするゲームもあります。それはアドベンチャーゲームです。アドベンチャーゲームはそもそも表現形態として映画的な色合いが強いため、ムービーを導入させやすいのではないでしょうか。
ただ、いずれにせよポリゴンである必要はありません。なぜああまでしてポリゴンにこだわるのでしょうか? 数年前、スクエアがポリゴンで本物の映画を制作し、大コケしたことを忘れてませんか。結局、ポリゴンなんて所詮は「そういうもの」なんだと思います。

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自己紹介ゲームは薄っぺらい [ヴァルキリーの辞書]

自己紹介ゲームは薄っぺらいと思っています。
ここで言う自己紹介ゲームとは何か? それはゲームの序盤に盛大な自己紹介をしてくれるゲームのことです。それは、ナレーションや自然な会話等形を問わず、聞いてもいないことをべらべらと勝手に説明してくれるゲームのことです。
これは主人公が無知であったり、外来者であるというシチュエーションで実現されることが多いです。

説明役「あと30分ほどでジャルケの町だ。ジャルケの町は鉱山で有名で、産出される石炭で世界中の…」

説明役「なんだ、俺様のことを知らないってか。俺はミキャール、さすらいの傭兵さ。こう見えても3年前のナルガド戦争に参加したこともあるんだぜ。愛用の武器は…」

ハイハイ。って感じですよね。こういったシーン、よく見ませんか?
確かにこういう説明は世界観を手っ取り早く説明するには、非常に楽な方法でしょう。楽であるが故、多用もされています。でも、こういうのってすごくわざとらしく感じませんか?
例え主人公が無知であっても、社会生活上知っておくべきことは当然知っておくべきですし、それを改めて説明するというのもどこか変です。
自己紹介ゲームはつまり、シナリオデザインやゲームデザインがきちんとできていないと考えるべきでしょう。だから薄っぺらいと感じるのではないでしょうか。

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世界は生きている [ヴァルキリーの辞書]

小説にしろゲームにしろ、自分の作り上げた架空の世界が舞台となります。
ただ、その世界って本当に生きているでしょうか?

ここで言う生きているとは、その世界が本当に自立しているかどうかです。
例えばRPGの場合、初期の宿屋代は安く、物語が展開するにつれて宿屋代も上がっていくのが一般的です。でもこれってゲームをやりやすくするための単なるご都合主義ですよね。
食費やサービス料を考えば、本当は世界中どこで宿泊してもそれほど価格って変わらないはずです。

なんで初期の町には弱い武具しか売ってないのでしょう?
物にはラインナップというものがありますから、高価で立派な武具も売っていて然るべきです。でも売っていません。それはゲームバランスのため。

だから言いたいのです。その世界って本当に生きてますか?と。ご都合主義で固められた世界になっていませんか?と。

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ポリゴンは必須か? [ヴァルキリーの辞書]

最近はグラフィックチップの性能が著しく向上し、グラフィックが非常に綺麗になりました。
ただ…本当にポリゴンは必要でしょうか?

確かに初代プレイステーションが販売されていた当時では「ポリゴン処理」自体に目新しさがありましたので、一つの売りどころとなっていたと思います。ゲームセンターではバーチャファイターが人気だった頃ですね。
しかし、最近のゲームは右を見ても左を見てもポリゴンです。もう、ポリゴンに目新しさなどありません。だったら中途半端にポリゴン処理させるぐらいなら、やめませんか?

私はファミコン時代の2Dが好きです。何よりドット絵が可愛いじゃありませんか。
足りないイメージは想像力を膨らませ、脳内で補完します。だからゲームが楽しいのです。それで何不自由なくゲームができていました。

現在のポリゴンはPS3を見て分かるように、かなりのハイクオリティです。同時にそれは、それだけのお金が掛かっているということでもあります。その開発費は、今やゲームメーカを圧迫すらしています。
ゲームとして成立させるのに、本当にそのポリゴンは必要ですか?

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ゲームBGM [ヴァルキリーの辞書]

最近のゲームで、頭に残っているBGMってあるでしょうか?
私はありません。
でも昔のゲームってとてもよく覚えているですよね。スーパーマリオ、ドラクエ、ファイナルファンタジー…

昔はハードウェアの制約で、同時に発音可能な音数が限られていてメロディもシンプルでしたし、容量の関係からとても短いループでした。
今のゲームは高音質化&曲が長くなっていて、耳に残らないのではないでしょうか? 「チューリップ」の曲はすぐに思い出せますし、口笛で全てを奏でることができますが、オーケストラ「動物たちの謝肉祭」を全て奏でろと言われても、到底無理な話です。

高音質になったが故に耳に残らなくなってしまったというのも、寂しいですよね。

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