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ゲームのリアリティさ (2016/01/16) [ヴァルキリーの辞書]

ゲームって抽象化と仮想化の産物ですよね。将棋なんてものは、軍隊の部隊を駒として抽象化し、盤という仮想戦場の上で仮想の軍隊で戦わせる遊びですし。もし将棋に抽象化も仮想化も介在しなければ、それは本物の戦場そのものです。コンピュータゲーム、例えばロールプレイングゲーム(RPG)も同様で、人を抽象化したプレーヤーを仮想世界の中で操作・成長させていく遊びという点は同じです。
ゲームって遊ぶための道具なので、リアリティを犠牲にしなければならない部分が出てきます。というより、ゲーム性を向上させるために、あえて切り捨てている部分がある、と言った方が良いでしょうか。だって嫌でしょう。将棋の駒を1マス動かすのに数時間を要するとか、この駒は食事中のため今回は動かせませんとか。コンピュータゲームだって、瀕死の人が薬草だけで完全回復したり、コンパクトな薬草を9個持てないのに、重量級のはがねのよろいは8個持ててしまうのはなぜ?といったツッコみ所はザラにあります。
ゲームは遊べてナンボです。人の覚えられるルールの量には上限がありますし、複雑すぎるルールや制約ではそれを使って遊ぼうとも思わなくなります。コンピュータゲームのROMには容量制限もあります。ゲーム性が確立できているのであれば、そういう理不尽さは気にしないのが一番です。

しかし、コンピュータゲームの中には、あえてリアリティの断片を組み込んだ作品があります。個人的に、ゲームにおけるリアリティの追求は嫌いではありません。もちろんそういったゲームにおいて、試みが成功しているものもあれば、失敗してしまったものもあります。
私の印象に残っているものとして、“ウィザードリィ”、“破邪の封印”、“ハイドライドIII”の3つを挙げれば、概ねそういった試みを語ることができてしまいます。せっかくなので軽く紹介してみることにします。
なお、今から紹介するシステムは、そのゲームが元祖でないかもしれません。ただ、今回の趣旨は源流を探るものではないので、そのあたりはご容赦をお願いできればと思います。

■年齢と加齢
キャラクター設定として、年齢が設定されているゲームはあります。しかしイベントで特別な時間経過を発生させない限り、どんなに時間を経過させても永遠に固定されたままです。しかしウィザードリィは違いました。宿泊施設で誕生日を迎えると、加齢します。若い娘だったキャラクターが、気付くとおばさんになっていたりします。種族毎に年齢の特徴(たとえば300歳とか)があり、また、加齢を続けると老衰して死ぬこともあります。私も、キャラクターを加齢させないために“馬小屋”には随分とお世話になりました。
ゲームに時間的制約を設けることで、だらだらとゲームをさせないという点で評価できるのではないかと思います。(私はやり込みが好きなので、永遠のXX歳の方がうれしいのですが) 他にもMight and Magicでも同種の加齢があったように記憶しています。

■武具の耐久性
破邪の封印では、武具に耐久性パラメータがあり、戦闘で使用すると耐久力が減少します。そのまま鍛冶屋で修理することなしに使い続けると、武具がロストしてしまうのです。それは物語後半に手に入る、伝説の武具であっても同じです。
リアリティもさることながら、はっきり言ってこれは面倒なシステムでした。物語中盤で鍛冶屋を帯同できるようになり、戦闘終了後に自動で武具の修理が行われるため、やがて意味をなさなくなります。面倒な管理から解放されると考えれば、それも主人公の成長なのでしょうが。
この延長かどうかは分かりませんが、魔界塔士Sa・Gaでは武器に使用回数という制限あり、これは成功だったと思います。常時複数の武器を装備できますから、敵の属性や数によって武器を使い分けるという戦略性が生まれ、また、もったいないから弱い敵には弱い武器を使うというエコの概念(笑)も生まれました。

■視界
同じく破邪の封印では、視界に制約がありました。ドラゴンクエスト等を見て分かるように、一般にゲームは俯瞰視点であり、プレーヤーは周囲のマップ(位置状況)を常に確認することができます。
しかし破邪の封印は違います。ゲーム開始当初の視野はゼロで、上下左右、その地点に移動してみるまで状況が全く分からないのです。海に落ちて流されたり、山岳地帯に突入して強敵に撲殺されるなんてことは日常茶飯事です。
そのためゲームには布製のマップが付属しており、プレーヤーはその地図で自分の位置をを管理・把握しておく必要がありました。ゲーム中盤で入手できる遠めがねによって、初めて自分の周囲1マスの視界が画面上に表示されるようになります。これも面倒なシステムでした。ま、これには当時流行っていた違法コピーの対策であったとも言われています。

■時間
ハイドライドIIIでは時間の概念がありました。ドラクエのような朝昼晩といった生易しい物ではありません。24時間の分単位です。それまでも時間の概念があるゲームは存在しましたのでしょうが、ハイドライドIIIでは定時に食料を食べないと空腹で弱体化し、夜は睡眠を取らないと同じく弱体化し、さらに深夜は敵が凶暴化するというとんでもないシステムでした。

■重量
これもハイドライドIIIであり、全ての物に重量が設定されていました。そうお金にも。持てる重量を超えてしまうと動きが遅くなり、さらに超えてしまうと完全に身動きが取れなくなります。お金の重量も邪魔になるのであれば、容赦なく捨てることになります。
ちなみに手持ちの小銭(硬貨)を大きなお金(硬貨)に変換してくれる両替機なる手持ちアイテムもありましたが、両替機の重さ自体は固定のため、何をどう両替しているのかというゲーム史上最大の謎も生まれました。
この重さの概念によって、軽い物ほどたくさん持てることになり、ゲームのアイテム所持における理不尽さについて一つの解を与えることになったのは画期的かと思います。また、重さを考える必要があるため、最高性能の武具が最強であるとは限らないといった面白い概念も生まれました。
ただ、一つ言うとすれば、これも面倒なシステムでした。

といったように、リアリティさの追求には、功罪があり、なかなか興味深いかと思います。
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